シュベスターピアノと高木東六
精魂を傾けて作品を完成させた時、良い音楽を聴く時、ぼくはつくづく恵まれた職業を授かったと思う。音楽の仕事を続けてきて、幸せだなあと思うのは、それだけではない。大学の教授や助教授に比較的友人が多いのだが、誰もが音楽を非常に次元の高い芸術と認めていて、そのことがお互いの信頼を高めている。又、音楽を職業にしていない人達の熱心な演奏や音楽論を聴くのも、心躍らされることのひとつだ。
音楽に携わっていることで得られる喜びは無限だが、シュベスターピアノに初めて出逢ったときの感動は、今も忘れる事ができない。キイに触れた時の、あの吸い付く様な感触。全身を貫いたあの稲妻のようなときめき。一台一台をいとおしみ作り上げる人の血が、僕の体の中へ逆流して来る様で、暫くは茫然としていたのだった。キンキンする騒音のような音を出す量産ピアノが出回っている今日、深く広い音量と音質、音域を持つ「生きているピアノ」手作りのシュベスターピアノ、があるということで、ぼくは豊かな日本の音楽の将来に想いを馳せることが出来る。
音楽家は常に良い音を聴く環境に居なくてはならない。というよりは、そうした環境を創り維持する事ができなければならない。もっと掘り下げていうなら、最も音に敏感な幼児期にどういう音の環境の中に居たか、ということが、その人の音感を決めてしまうといわれる程だ。例えば、子供の声が親の声に似ているのは、子供が耳から覚えた親の声を無意識のうちに発声しているからなのだ。この一事からして、「何事も初めが肝心」というのは単なる諺なのではなく、音楽の世界でも忘れてならない貴重な教訓だ。ピアノの練習の初めに、手作りのシュベスターピアノの本物の音に出逢える子供は、本当に幸せだ。シュベスターピアノを選ぶということは、良いピアノを選ぶという事に止まらず、幸せな人生を選ぶ事だとさえ、ぼくは思う。一人の人間の人格が形成される上で、音楽が与える影響は測り知れないものがあるからだ。
ぼくも含めて音楽を職業とする者は、しばしば「名器」といわれるものを手に入れると、どうも自分だけで独占し世に知らせたがらないという妙な癖を持っているようだ。シュベスターピアノは、ぼく達の仲間内で夙に知られた名器であるが、良いものはやはり一人でも多くの人に愛用されるのが本来だ。シュベスターピアノは、音楽の故郷ドイツのレンナーアクション、レンナーハンマーを使っているが、この厳選された材料を使って一台一台丹念に造り上げる「手造りの精神」を、いつまでも忘れないで欲しいと思う。
高木 東六(たかぎ とうろく)
(1904年7月7日 – 2006年8月25日)
昭和に活躍した日本の作曲家、ピアニスト。現在の鳥取県米子市出身。